第5回授業 深層文化と自文化中心主義について
ゴールデンウィーク明けからゼミ生は大忙しで、ブログの更新が止まってしまって失礼しました。今後、連休明けの活動記事を急ピッチで更新していきます!
今回は5月9日の授業報告です。
今回の課題図書は「深層文化と残念な結末」についてです。その中でも特に自文化中心主義がどのような影響を与えてしまうのかについて考えました。
まず深層文化と言われて皆さんはぱっとイメージができますか?簡単に説明すると目には見えない文化のことです。この対義語に表層文化、目に見える文化が存在します。例えば、日本では家に上がるとき靴を脱ぐという表層文化がありますが、その深層には神道が深く関係しています。これが深層文化です。
次に今回の本題の自文化中心主義についてです。この言葉も聞きなれない言葉で、イメージが難しいと思います。私も勉強する前はいったい何なのかわかりませんでした。ですが、よく学んでみるとそこまで難しい内容ではないのです。
自文化中心主義とは、自分の属する民族(文化)の価値を基準に、他の文化を判断、評価する考え方のことを指します。そして多くの場合、自分の所属する文化が他よりも優れていると思う傾向も不随するそうなのです。みなさんがイメージできるように、私の体験を例に説明しようと思います。
私が中学二年生の頃、アメリカ人の親戚が家に来たことがありました。私は彼と会うのが初めてだったのですが、彼は家に着くなり靴を脱がずに私の家の中に入ってきました。私はこの時、口に出しはしなかったものの、「人の家に勝手に靴で上がってくるなんて、なんて無礼な人なんだ」と思いました。初めて会ったということもありますが、靴を脱がないという行為によって私は完全に彼のことを「常識がない人」と評価してしまったため、打ち解けるのにかなり時間がかかってしまいました。
この時の私はまさに、日本人の「家にあがる時は靴を脱ぐのが常識」という自文化を基準に相手を評価し、相手の行動の意味などを知ろうともせず、一方的で否定的な評価をしてしまったのです。しかし「家の中では靴を脱ぐ」というのは、私の属する自文化での価値観であり、アメリカの地域によって家の中でも土足で生活する家庭も多く存在するのです。私は彼の行動の裏側にある文化や意味などを考えずに評価し、さらにはその1つの文化の違いだけで、彼の全てを否定的に評価してしまったのです。
彼と打ち解けて気がついたのは、彼がとても良い人で心優しい人であるということです。
もしもあの時、彼が私の親戚ではなくただすれ違っただけの他人だったら、私は常識がないと感じた彼と打ち解けるどころか、打ち解けようとすら思わず、今でもずっと常識がない人という偏見を持ち続けていると思います。このように自文化中心主義で否定的になってしまった時、その気持ちをずっとそのまま持ち続けてしまうと、差別や偏見に繋がり兼ねないのです。
今回の授業で学んだことは、自分が考える判断や評価の基準は、自分の属している文化の中での基準であり、他者には他者の属する文化の基準があるということです。他者の価値観を理解できるかできないか、許せるか許せないかは人それぞれが決めることです。がしかし、鼻から否定せず、相手の行いや発言の真意が何なのかを考え、まずは受け止め、理解しようとする姿勢が大切なのかもしれません。
文責 塚本空良 淺井初音
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