2025年度関ゼミ海外ゼミ研修報告書  ユンミミマゥン(経営学部3年)

1.    はじめに

今回のベトナム研修は2025年9月2日から始まり、2週間にわたって実施された。ゼミの一員として現地の学生と交流しながらプログラムを企画・運営する中で、そして異文化の中で相互理解を深める貴重な学びを得ることができた。本報告書では、その中でも特に心に残った3つの学びを取り上げて述べていく。

2.    仕事での熱中やまじめさ

現地に到着して間もなく、私たちがベトナムの学生と共に企画したプログラムに手違いが生じ、運営が一時的に混乱するというハプニングがあった。その場面で特に印象に残ったのは、仕事に対する「熱中の仕方」と「まじめさ」における文化的な違いである。

日本人学生は時間を厳守し、企画通りに進めることを重視していた。計画が思うようにいかない場合には「どのように修正すれば目標を達成できるのか」と深く悩み、複数の視点から細かく検討して行動する傾向があった。一方、ベトナムの学生は基本的に企画通りに行動するものの、比較的のんびりとしており、物事を深刻に考えすぎることは少ないように感じられた。トラブルが起きた場合には、その場で直接解決するか、あるいはスキップして柔軟に対応する姿が見られた。このような違いに直面する中で、私は自分自身について新たな気づきを得た。ベトナムの学生から「仕事する時は日本人のようにseriousだ」と言われ、自分でも知らないうちに日本人に近い考え方をしていることに気づかされたのである。私はベトナムと同じ東南アジア出身であるが、日本で生活するうちに、日本人のように計画性や確実性を重視する姿勢が身についたのかもしれない。ただし、それが日本に来てから得た習慣なのか、ミャンマーにいた頃から持っていた性格なのかは自分でもはっきりしない。

いずれにせよ、私は日本人のように仕事の確実さを求める一方で、ベトナム人のように細かいことを気にしすぎない面も併せ持っている。そのため、両者の中間に位置する「in the middle」の存在となっていた。研修の場面では、企画通りに進まないことに苛立つ日本人学生と、柔軟に対応するベトナム人学生の間に立ち、リーダーとしてどちらに歩調を合わせるか判断するのに苦労した。この経験からもう一つ学んだのは、状況や相手に応じて柔軟に対応することの重要性である。以前から家族には「仕事の進め方がゆっくりで、それでも焦らない」とよく言われていたが、今回の研修を通じて、そのような状況に対する人々の反応にはさまざまなパターンがあることを実感した。例えば、焦ってイライラする人もいれば、状況に全く関心を示さず反応しない人もいるし、焦らず最後まで着実に取り組む人もいた。つまり、自分の「焦らない性格」は欠点ではなく、一つの個性であり、環境によって強みとしても弱みとしても現れるのだと理解できた。人の行動や価値観は必ずしも国籍だけではなく、その人が育った環境や経験に大きく影響されるのだということも実感した。 


3.    異文化環境における率直なコミュニケーションと相互作用の変化

 研修に参加する前の私は、常に他人の指示に従って生きてきたため、自分から行動を起こすことが少なかった。そのため、時には「自分が先に行動すべきか、それとも指示を待つべきか」と迷うことが多かった。ミャンマーでは、何かを行う際に親や先生、年上の人の指示を受けることが、相手への尊敬を示す方法である。学校においても同様で、学生が先生に積極的に意見を述べたり、自ら能動的に行動したりする姿はあまり見られず、場合によっては失礼と捉えられることもある。そのため、私はリーダーとして判断すべき場面でも、はっきりと言えることが多かった。しかし、今回の研修では、先生から「能動的に行動すべきだ」というアドバイスを受けたことが大きな転機となった。私にとっては、それが「許可をもらった」ように感じられ、そこから積極的に行動できるようになったのである。リーダーとしても、「どこが良いか、どこを改善すべきか」を遠慮せず、はっきりとゼミ生に伝えられるようになった。以前は「それでも大丈夫そうだ」と思ってしまい、ゼミ生に対してあまり指摘せず、自分自身も指示を出す立場なのかという自信がなかったのである。

 また、率直にコミュニケーションをとることで、相手と早く仲良くなり、距離を縮めることができると気づいた。そのため今回の研修では、忙しい中でもゼミ生に本当の自分を見せることができ、心を開くこともできた。すると、昨年から一緒に活動しているゼミ生たちからも「ミミは面白い」と言われるようになった。私自身は特別なことをしているではないが、素の自分を出せるようになったことで、そのように受け取ってもらえたのだと思う。この経験から、コミュニケーションスタイルによって人間関係が深まるまでの時間が異なるのではないかという。例えば、昨年のネパール研修や今回のベトナム研修では、短期間で現地の学生とすぐに打ち解け、本当の自分を出すことが簡単だった。一方で、日本での生活では、どうしても遠慮してしまい、本音を出すまでに時間がかかってしまうことが多い。その原因は、私は「はっきり言って、それを相手が受け入れてくれるならすぐに仲良くなれるタイプ」であり、「仲良くなってから徐々に本音を言えるタイプ」ではないからである。そのため、日本のように遠慮を重んじる文化の中では、率直に伝えるまでに長い時間を要したのだと思う。ベトナムやネパールでは、直接的に伝えても受け入れてくれる人が多く、そのような環境だからこそ、自然に本当の自分を出しやすかったのだろう。

 今回のベトナム研修では、日本人メンバーともこれまで以上に仲良くなり、遠慮せず率直に意見を言えるようになった。私が述べたように、直接伝えることを受け入れてくれる環境があったからこそ、その結果、メンバーも以前より積極的に行動し、互いに支え合いながら活動することができた。私自身もリーダーとして自信を持ち、能動的に行動する力を身につけられたと実感している。

4.  おもてなし/歓待(Hospitality)

“おもてなし” はどの国にも存在するが、その形態には違いがある。たとえば「心からの歓迎(warmly welcome)」と「形式的な歓迎(just welcome)」の差である。東南アジアでは、自分の所に来てくれたお客様に満足して帰ってもらうためであれば、自分の時間や日常の仕事、さらにはお金までも、その人のために惜しみなく差し出すという考え方が根付いている。

実際、研修中にゼミ生の一人が「水を飲みたい」と言った際、その学生のベトナムのパートナーはその声を聞いて、自分のお金で新しい水を買ってきてくれた。日本人の学生は「無料なの!どうしてそこまで優しいのか」と驚いていた。そのような場面を研修中に何度か目にし、私は深く考えさせられた。彼らが無償で何かを与えるのは、単なる優しさからではなく、「自分の持っているすべてを相手のために使うことこそが歓待である」という価値観に基づいているのだと感じた。私の母国でも同様であり、そのような歓待を示すことはごく当たり前のことである。だからこそ、与えた側が見返りを期待することはなく、それは「普通」のこととして存在しているのである。

一方で、日本人が「無料なの!どうして」と驚いていたことが強く印象に残った。理由を尋ねると、日本ではそのような歓待はあまり見られないという。たしかに日本では「何かをもらったら、自分も知らないうちに必ず何かを返さなければならない」という感覚が強いように思われる。例えば、街頭で配布される無料のティッシュには広告や情報が印刷されており、それを受け取ることで「読むべき」「確認すべき」という無言の責任が生じる。このように、日本における「無料」には何らかの裏付けや条件が伴うことが多いのであると私は考える。

5.まとめ

14日間の研修を通じて、町の雰囲気や人々の様子、道の風景などが、私が住んでいた母国の町と似ていると感じることが多く、時にはまるで母国にいるかのように感じた。一方で、ベトナムでは至るところに国旗が掲げられており、その光景を目にするたびに「自分はいまベトナムにいるのだ」と強く意識させられ、国旗の存在がとても印象に残っている。
 今回の研修は、昨年よりも大きな挑戦であった。日本に留学してから毎年新しい発見を得てきたが、昨年の研修では自分自身を深く見つめ直し、過去の初めて人生のことを振り返る機会になったのに対し、今回は自分だけでなく、多様な人々について深く考える機会となった。特に、皆で目標を立て、それを達成するために協力し合う過程では、価値観の異なる人々とともに働く難しさを学生時代から体験することができ、多くを学ぶ貴重な経験となった。 


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