ネパール研修報告書(3)後悔と経験

タイトル:後悔と経験
小山純平

この報告書では、「後悔」と「経験」について書きたいと思う。まずは、「後悔」について。「このプログラムに参加する前、大きな不安があった。それは、「英語力」である。関先生にもそれについては言われており、自分なりに英語の勉強を頑張ってきた。そして当日を迎えた。最初は、思っていたより、コミュニケーションが取れていた。自分の成長に少し驚きもしていた。しかし、ネパール人学生と過ごしていくうちに自分がやはり英語の壁にぶつかっていることを感じた。それは、「会話はできても、議論ができない。」である。この研修に参加することの最大の利点は、「現地のネパール人学生と、貧国などの問題について意見交換ができる。」だと思っていた。しかし、それは英語が出来てのことなのだと感じた。ネパール人学生はみんなとても優秀で、このプログラムには貧困と教育、幸せについてたくさんの自分の考えが想いを持って参加してきてくれていた。私は、それを何回も繰り返してもらいながら理解するので精一杯だった。本当に悔しかった。自分も、「思ったこと、感じたこと」を「言語化」して話そうとしたが、その「言語」が、英語か日本語かだけでこんなにも難しいものだということを痛感した。しかし、この悔しさは自分の英語学習への高いモチベーションとなった。帰った今では、プログラムの前以上に真剣に英語学習に取り組んでいると思う。なぜ今まで以上に頑張っているか言うと、やはりあの研修での「後悔」があるからだと思う。そして、来年どこで行われるかまだ分からないが、絶対にまたプログラムに参加してこの悔しさを晴らしたいと思う。
次に「経験」について。これについては、マイダン村でのホームステイ生活について述べる。マイダン村は、今まで僕が人生で行ったどの場所よりも衝撃を受けたところだった。家はすべて木や土で作られていて、夜は村全体が暗闇に包み込まれて、ライトがないと歩けないほどだった。ボーイスカウトの経験があり、自然に囲まれた生活には慣れている方だと思っていたが、最初は衝撃を受けるものばかりであった。しかし、徐々にその村生活も楽しくなり、全体を通してストレスも他の日本人メンバーよりかは少なかったと思う。この時、私はこの村で、人生で一番といっても過言ではない、ものすごい経験をすることは予想もできなかった。マイダン村の2日目は小学校での授業から始まった。最初はみんなシャイだったが、徐々に子供たちは全力で楽しんでくれていた。また、外で遊んだ時にも、みんなで痛いくらい自分に抱き着いてくれた。この時に、私は言語なしで交流ができることを学んだ。そして午後になって、村の方々がネパールと日本の「交流祭」のようなものを開いてくれた。そこでも、皆踊ったり歌ったりまるで相手が「異国人」であることを忘れているくらいに一体感を生みながら交流を深めた。学生メンバー同士も、この祭りを機にさらに絆が深まったと思う。そしてついにその時が来た。先程言った、私が人生で一番大きな経験をしたことだ。実はこの祭りが始まる前、関先生からこんなことを言われた。「今日の祭りのメインイベントで、豚をその場で殺す。誰かやりたい人いますか?」。最初にその言葉を聞いた時は、理解するのが遅れた。しかし、先生の言葉以上に理解しかねたのはそのあとの私自身の行動だ。その言葉を完全に呑み込めていない状態で「やりたいです!」と名乗りでてしまった。最初、名乗りを挙げた時は、みんなから驚かれた。「怖い。」とも言う人もいた。でも、この時私は、「自分は英語が苦手だ。でもそれのせいでこの研修が失敗だったとは思いたくない。それ以上にたくさん経験を積みたい。」と考えた。ひどい考え方ではあるが、この豚を殺すことで何か得られるものがあると思った。ついに豚が広場の真ん中に置かれた。脚は縛られてあったが、自然の木とロープであったがために完全に固定されている訳では無いので、大人4人くらいで押さえつけられても激しく抵抗していた。これから殺される運命が分かっているかのようだった。それを見ても、あまり何も感じず、ただ平然とその時を待っていた。間もなくしてナイフを渡されてついにその時がきた。豚に近づいていくにつれて喚き声も大きくなっていた。村の方に豚の首の部分を指差され、「ここを切れ」と指示された。私は無心で首にナイフを入れた。これまでに聞いたことのない豚の喚き声と、刃を体に入れるたびに伝わる肉の感触は本当に恐怖だった。さらには、みんなの悲鳴や泣き声も聞こえてだんだん自分のやっていることが本当に正しいのか分からなくなっていた。全てを切り終えた後は、何も考えられずただ茫然としていた。頭と胴体が切り離された豚と血まみれで立ちすくんでいる私。仲間の元へ戻ると皆が泣きながら僕を励ましてくれた。そしたらなぜか私も涙が止まらなくなった。こんなに泣いたのは初めてだった。この「経験」は本当に貴重だった。

最後に全体を通して、ネパール人を見るとその多くが「笑顔」だった。村は電気もガスもなかったが、それで悩んでいる村人はいなかった。日本には「相対的貧困」という言葉がある。このことについて我々はサミットで劇を行った。「皆と同じ遊びがしたいのに出来ない。」、「皆が大学へ行っているのに行けない。」。こんな悩みを抱える子供が日本にはかなりいる。でも、ネパールにはそんな悩みを抱えている人はほとんどいない。みんな今の生活に満足していると答えた。この事で、「貧困率」と「個々の幸せ」は全く関係ないものだと分かった。日本にはこの「相対的貧困」で悩んでいる人がたくさんいるらしい。この研修で僕は貧困「問題」は、ネパールよりも日本の方が根深いものだと思った。このことを研修で初めて気づいた。もっと早く気づくべきだった。僕たちはこれからもネパールの貧困問題について考えていく。でも同時に、日本の問題についても考える。そのためにもこの研修で学んだ、感じたものを日本と照らし合わせながら、多くの人に伝えていく。この「後悔」と「経験」は僕を大きく変えた。


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