Jason氏 講演会

 11月12日は、関ゼミ恒例の外部からのゲスト講演会を開きました。今年3回目となった今回は元東京経済大学の英語特任講師であり、関先生の昔からの友人でもある、Jason La Greca氏をゲスト講師として招かせて頂きました。講演会のテーマは「Pros and Cons of Japanese」(日本人の長所と短所)というもので、日本の大学で講師として5年間、活動していた経験のあるJason氏の思う、日本人の考え方の特徴について教えていただきました。Jason氏によると、日本人の多くはいつもネガティブ思考であり、誰かがミスをするとその人を必要以上に責めてしまう傾向があるということです。この内容は、ゼミ生一同が共感しながら聞いていました。そして、Jason氏の日本で働いた経験から、「多くの日本人は少しでも日本語を話せる外国人を見つけると普段の日本人と話すときと同じように接し、時に厳しくする人が多い」という日本人の特徴も教えてくれて私たち日本人にとってはとても面白い内容でした。また、Jason氏が仰った、「仕事は一番重要なことではなく、個人の時間を大切にする必要がある。」や、「自分の人生は後から自由に変えられるものである。」という言葉は特にこれから就職活動が本格的に始まる3年生には自信につながるいいアドバイスでした。その他にも日本と海外の会社の組織の違いなども教えていただき、今後の学生が将来を見つめ直すいい機会となったと思いました。貴重なJason氏の来日期間に東経大に来て、このような素晴らしい講演会を開いて頂きありがとうございました。

 On November 12, we held a sepecial guest's session which is one of Seki seminar's established events. This was the 3rd time in this year which we invited Mr. Jason La Greca who had been an English pre-specially appointed professor at TKU and also has a long relationship with Prf. Seki as the guest speaker. This session's theme was about "Prod and Cons of Japanese". Jason taught us his opinion about characteristics which Japanese ways of thinking. Accordig to Mr.jason, most of Japanese always think about things negatively and they tend to excessively blame a person who made some mistakes. All the members of our seminar sympathized with this point of view. Then from his working experience in Japan, "when lots of Japanese find a forigner who can speak Japanese even a little, they tend to talk with him as Japanese and sometimes strictly." This perspective was very interesting for us who were Japanese students. Also, some parts of speeches which  "we should save our personal time rather than work." and " you can change your life freely later." were good advice for especially junior students who are going to begin job hunting in ernest from now on. Ecpecting for them, he taught that the differences companies organization between Japanase and other countries so today was a good chance for us to reconsider our future. Thank you Mr. Jason for giving us such as the wonderful session during a precious time which he came beck to Japan.




ネパール研修報告書(9)ともに考えるグローバルパートナーシップ

ネパール研修報告書の毎日投稿、ついに最終回となりました!

タイトル:ともに考えるグローバルパートナーシップ 
海野 真由  
        

    私は『小さな世界』という歌に正直共感できないし、綺麗事を言っているようで嫌いだった。みんなそれぞれ助け合うなんて絶対に無理だと思う。「相手の立場になって考えろ」「自分がされて嫌なことは他人にしちゃだめ」私たちは小さい時からそう教えられてきたのにそれが時に困難であるのは、自分も含め、この世の全ての人間が自己中心的で、自分を肯定するための言い訳を常に考えていると思うからである。自分が生まれた環境で形成された「当り前」から離脱して客観的に自分の当り前を見ること、相手の当たり前を理解することは相当難しい。だから『小さな世界』で歌われている世界を作ることは不可能だと思っていた。しかし、クラウドファンディングや研修事前準備などを通じてグローバルパートナーシップの大切さを学ぶことにより、少しこの歌の意味がわかった気がする。

クラウドファンディングから始まり、ネパール研修が終わるまでの約半年間は私の大学生活の中で最も忙しく、精神的にも大変な思いをした。しかしそれはとても印象深く、一生忘れることのできない濃いものだと思う。まず、私はこの研修には参加していない。持病のため研修に行けないと告げられた時、今までの活動が無駄になってしまうのではないかという恐怖と、私が得られる学びはあるのかという疑問が私のゼミに対するモチベーションを下げてしまい、すべてのことに対してやる気が起きなくなっていた。しかし母の「後悔しないの?」という一言で、後悔だけはしたくないと思い、諦めずゼミ生と共にここまで活動することができた。もしタイムスリップできるのならば、私はその時の自分に「諦めなくてよかったね」と言ってあげたい。

    研修の準備段階で、ネパールの現状を先生や先輩方から聞いたり、自分でも本を読んだり、私なりのネパール像があった。日本のようなインフラ整備が整っていなく、満足のいく食事もできないだろうと思っていた。研修後、ゼミ生たちから「ネパールのトイレは汚いし、流れない」「ダルバート(ネパールの家庭料理)が不味かった」「日本の綺麗さを改めて実感した」など、まさに私が予想していた感想が飛び交った。もし、私が研修に行っていても同じことを言うだろう。だけれど、その感想はネパールの表面的な部分に過ぎず、誰でも容易に想像することができる。ただ一つ私が想像していなかったことは、ゼミ生がネパール学生と未だに電話や、メッセージのやり取りをしていることだ。たまに楽しそうに電話やメッセージのやり取りをしているゼミ生が羨ましく、嫉妬することがある。日本人相手でさえ、友達になるのには時間がかかったりするのに、私はどうしてそんな友情をたった2週間で築き上げられたのだろうと疑問に思った。皆が人見知りじゃないから?英語がペラペラに話せてコミュニケーションに困らないから?文化や価値観が似ていてカルチャーショックを受けなかったから?確かに、中にはそういう人もいるとは思うが、答えはたぶん、NOだろう。きっとその背景には学生サミットで同じ問題について一緒に取り組んだ経験があったからだと思う。学生サミットでは、貧困と教育についてお互いの国の問題を議論しあった。私は貧困について興味があり、みんながネパールに行っている間は今回のテーマでもある貧困と教育に焦点を当てて調べていた。ネパールでは子供たちが勉強したくても生まれた環境のせいで学校に行けなかったり、行けても家庭の手伝いなどといった理由で中途退学してしまったり、若くして結婚しなくてはいけなかったり、日本ではありえないようなネパールの現状がある。それに、そもそも学校に行くことの必要性を感じていない人もいる。だからネパールの識字率が低い。しかし先進国と言われている日本も貧困がないとは言えなくて、他の子みたいに家族と旅行に行けなかったり、進学したくても経済的に厳しく働かなくてはいけなかったり、ネパールの貧困ほどではないかもしれないが、日本だって相対的貧困問題が勿論ある。クラウドファンディングをやっている過程で、「授業料も自分で払えないのに」と言われた。正直悔しかった。しかし、私にはそれがすごく自己中心的な考え方であるように感じた。冒頭で述べたように、私たちは自己中心的である。それでも自分の当り前でない世界があることを理解し、受け入れ、共に同じ問題を解決することによってグローバルパートナーシップが築けるのではないか。学生サミットがあったからこそ、100名を超える支援者の方々から預かった80万円にはどれだけの想いが詰まっているのか、お互いの貧困と教育問題について語ることができた。また、それをネパールの学生が理解してくれたことがとても嬉しかった。研修が終わった後、ネパール学生たちからたくさんの感謝メッセージをもらった。そして、私のことがよく話題に出ていたと聞き、これまで活動してきたことが報われた気がした。“We love and miss you”日本語にするとちょっと照れ臭いこの言葉も、受けとった時私は誰よりも幸せだと感じた。研修に行けずとも、ネパール学生と友達になれた気がしたし、友達として認めてもらえたと思った。だから以前よりもネパールが好きになり、なぜか他人事のように感じることができなくなった。

    私はほかのゼミ生みたいにネパールでの経験を語ることはできない。ましてや私の力では、ネパールの貧困や日本の貧困をなくすこともできない。しかし、改めて日本の貧困と教育の問題にも向き合うことができたし、それを日本にとどまらせるのではなく、ネパールの学生と同じテーマで議論できたことに意義があると思う。これからもグローバルなコミュニティを増やし、様々な観点や考え方があること理解し、自分のものにして豊かな知識を増やしていきたい。
ネパールの学生たちからお土産をいただきました。





ネパール研修報告書(8)より深まったネパールの理解

タイトル: より深まったネパールの理解             
遠藤 貫太


 私は、ネパールへの訪問は2度目であった。そのため今回は、前回とは異なり、4年生であることから自らの将来的なキャリアアップを目的として参加をした。近年、目まぐるしく成長を続けるアジア地域の中でも、多くの可能性があるネパールにおいてを人脈を広げ、その分野における理解を深めることで現在私が持つキャリアゴールの達成に近づくと考えたためである。しかし、本プログラムを通しての学びは、その目的に限った学びだけではなかった。また、それは目的以上に印象深く、大切なものであった。それらを本レポートで述べる。



ネパール訪問中、ネパール人学生にアルバイトは何をしているのと質問したら特にしていない。とほとんどの学生が口を揃えて言った。そして、彼らは加えて『ネパールでは、雇用機会が極めて少なく、学生は特に仕事を得ることは極めて難しい状況にある。』と言ったのである。

日本では、学生がアルバイトをしようと考えれば多くの選択肢があり、容易に仕事をすることができる。一方、ネパールでは、ほとんどの学生がそうではない。アルバイトだけでなくインターンシップさえも学生では相手にしてもらえない現状がある。この背景として、多くの企業は、学生は、学びの過程にいるため働くには十分の知識を備えていないという価値観を持つ為、主に学位ないしは博士を取得した人々を採用対象にするということがあるらしい。

確かに、企業の考えている通り、大学や大学院を卒業した人々の方が知識を備えているかもしてない。しかし、教室で得た知識をすぐに仕事に還元できるかどうかはまた別の話になると私は考える。そして、学生のうちにアルバイトやインターンシップを経験することは、社会や会社の一員として、働くとはどういうことなのかを理解することに加え、社会に出た際に培った経験を基に社会生活や業務へ適用しやすくなることに繋がると言った非常に価値ある経験を得ることのできる為、学生にとって大切な活動であるとも言えるだろう。企業が可能な限り学生をアルバイトやインターンシップで雇い、実際に学んでいることをアウトプットする環境を提供できれば、学生は仕事というものを理解するだけでなく、教室で得た知識を使うことより“実践的な学習”や職場環境への適応が比較的容易となる。故に、卒業後には、企業の即戦力としてすぐに業務に取り組む事ができることも可能となるであろう。これは企業側にとっても育成する時間とコストを削減でき両者にメリットがあるのではないかと感じた。しかし、ネパールでは、あまり許容されていないことを学んだ。

これに加え、これがネパールの発展を妨害する1つの要因であると感じた。ネパールでは、優秀な学生たちが海外へと行ってしまう深刻な問題があり、その現状はこの問題につながると考える。それは、留学意識調査から得た結果が根拠となる。調査の中でなぜ留学へ行きたいかという質問において回答の多かった順に➀視野を広げたい、➁将来良い仕事を得たい、➂語学力向上という上位3つに次いで4番目に多かったのが海外で働いて見たいという回答だった。上位3つの回答は、海外留学へ行く人のほとんどがそれらの目的意識を持って渡航することは一般的であるが、海外で働いて見たいから(インターンシップ等で)というのはメジャーな目的ではない。また、留学をした友人から影響を受けたことはありますかという質問に対して、“実践的な学び”をしたことに対して影響を受けたと言った回答が目立った。

 この結果から、ネパール学生の中には、アルバイトないしはインターンシップを通して、各個人が高校や大学等の授業から得た知識を使用しながら“実践的に学ぶ”という環境を求めているのではないかと感じた。先ほど述べたとおり、ネパールでは、優秀な人材が海外へと渡航してしまうが為に国の発展が遅れてしまうという深刻な問題がある。それは、先ほど述べた企業の学生に対する価値観が学生の求めている学ぶ場を消してしまっていることにより、彼らが求める学びの環境が整っている海外へと学びのフィールドを移してしまう一つの要因となるであろうと私は考えた。今後、ネパールの政府をはじめ、企業おいても学生に対する価値観をなくし、学生が求める環境を提供できるように見直す事で、国内でより良い学びが可能となり、渡航する学生が減少すれば、将来的にネパールのは発展や進化に役立つのではないかと考える。



 最後に、私が今回の活動を通して改めて学んだ最も重要なことを述べる。それは、クラウドファンディングを通して学んだ。ネパールのある学校を通してある子供を支援する目的で約80万円集めることに成功した。その成功した瞬間ももちろん達成感を得たが、さらに得た瞬間があった。それは、プログラムの中で最も大きなイベントであった国際学生サミットが終了した瞬間である。私を含めゼミ生全員で努力をして行ってきたクラウドファンディング。その過程では、諦めかけたり、様々な心のない言葉を浴びせられたこともあったが、みんなで協力して最終的にはやり遂げた。途中、なんのためにやっているのか分からなくなることも個人的にあった。しかし、サミットで現地の生徒や先生方から自分たちの努力が認められて感謝され、初めて目に見える形となった瞬間、そして、ゼミ生と頑張った人にしか分かち合うことのできない喜びを共有した瞬間になんとも言えない達成感と幸福感を得た。この時、私は、改めてなんかに対して本気で取り組むことの大切さを理解する事ができた。

 このような、極めて大切な経験を社会人になる前に再認識できたことは、とても大きな意味を持ち、自分自身の人間力をさらに高める事ができた。また、このような経験をするにあたり、ご協力して頂いた支援者の方々、大学、関教授、両国の学生、両親に心の底から感謝したい。



ネパール研修報告書(7)親子愛を感じない日本人 

タイトル: 親子愛を感じない日本人                    

 尾崎 万葉


 私は研修に参加する前、進路のことで両親と喧嘩をしていました。そして両親と和解することなくネパールへ旅立ちました。そんな私がこの関ゼミの研修で一番学んだことは一つ。ネパールの親子愛の深さです。

実際にネパールに行き、学生と会って、会話を重ねるうちに妙なことに気づきました。それは現地の学生が1日のうちに親や兄弟・親友と何度も電話をしているということです。ネパール人の学生がバスに隣同士で座っていているときにも電話を取ります。そしてそのネパール人が話している電話の相手が彼らにとって身近で大切な人だからこそ驚きました。私は普段、友達や知人としゃべっているときに人から電話がかかってきたときには基本出ないようにしています。なぜならその友達に時間を奪う気がして申し訳なさを感じるからです。私はネパールで過ごしているとき、一度も親と連絡をとりませんでした(研修前に喧嘩をしていたからではなく)。もはや親は私がいつ帰ってくるかを把握しているくらいだと思います。それに対して1日のうちに何度も連絡をとるネパール人の学生と両親。その絆の固さに驚きました。

10日目のサミットでの副ゼミ長による感動的なスピーチを行っているときのことです。彼女が家族の支援もあって成功することができたと話しているうちに、自分は自然と涙が出てきました。大学4年の私と大学3年の弟が奨学金をもらっているような貧しい家庭にも関わらず、クラウドファンディングのため1万円を私に渡してくれた両親を思い出したからです。その時に喧嘩をしている最中ではありましたが自分は人生で初めて家族に会いたいと心から思いました。しかし家族にいきなり連絡をとったら変に思われると思ったことに加え、普段からそんなに連絡をとるほうではないことを理由に何もしませんでした。

そしてネパール人学生と日本人学生みんなで研修を通して最後のリフレクションを行っているときのことです。あるネパール人学生は、ネパール人が親と頻繁に連絡をとるのに日本人学生が全然親と連絡を取らないと話していて気付いたことがあります。それは自分が感じているこの寂しさこそが精神的貧困だということです。自分は今まで自分の家族は普通に仲のいい方だと勝手に解釈していました。特に親が離婚しているわけでもなく、暴力を振るわれることもなく、何不自由なく送ることのできる生活に満足していました。しかし、本当に連絡をしたいときにできない、この日常では気づかないような繋がりの弱さこそが精神的に貧しいということが理解できました。ある学生は、ネパールで家族との関係が強くてよかったと言っている学生がいました。自分はネパール人学生がネパール人学生の方が人とのつながりが深いということに気づいてくれたようで安心しました。物的豊かさは確かにネパール人学生の方が劣っているかもしれませんが、たとえ物的には豊かでも精神的に貧困の方が自分には人生が豊かでないと思えました。今回のネパール研修で学んだ親子愛の深さの違いを理解して、考えることは日本人という存在の価値です。日本人は確かにネパール人に比べて物的に豊かな生活を送っているかもしれませんが、親子愛はネパールほど深くありませんでした。この解釈を通して、ネパールの学生が自分たちは精神的に恵まれていると実感してもらうことができました。これこそ私たちがネパール人学生に届けられた最大の価値だと思います。



今回のネパール研修のテーマは「幸せと教育」。私はこの親子愛の違いを通して、幸せとはなにか、ネパールでも日本でも考えていました。確かに幸せの形や考え方は人によって異なると思います。私にとって幸せとは、愛を感じることのできる環境があることだと考えていました。自分はネパール研修の間、たくさんの愛を感じることができました。どんな時でも優しく教えてくれるネパール人、毎日の研修報告の記事をやらせていただき、毎日文章を添削しご指導してくださる関先生。自分の環境がどれだけ恵まれているか図り知れません。そんな恵まれた環境であるのに、日本に帰ると家族と居られること、友達と居られることが当たり前のように感じてきてしまいます。ネパール人は常に家族からの愛を感じると言います。確かに自分も家族からの愛を感じないと言われれば嘘になります。自由にネパールに行かせてくれること、基本的に自分のやりたいことは何でも許されること、そこに有難みを感じることもできますし、そこに両親からの愛を感じます。

それを考えていたときに自分がある言葉を思い出しました。それはゼミ研修中に、ネパール支援を行っているOKバジさんのお言葉です。「自分が与える側の人間になる」ということです。実際にネパールでお話を伺っているときには自分の中に落とし込むことができませんでした。しかし、これを思い出したときに自分は自分が与える前に、与えてもらうことしか考えられない器の狭さに気づきました。親だから与えてもらえる、仲のいい友達だから何かを与える、自分は条件付きで〇〇だからという言葉を前提にしてすべて考えていました。条件付きで与える側になることではなく無条件に与えること、この自分の在り方を変えることが大切だと思いました。それを思った現在、幸せとは何かわかりません。しかし、自分が与えられる側ではなく、これからの日々を自分が与える側になって過ごしてからその答えを私の人生を通して見つけていきたいと思います。

ネパール研修報告書(6)幸せと価値観

タイトル: 幸せと価値観                        

 井原千怜 


私は急にネパールのこの研修に参加することになった。私はネパールが発展途上国でアジア最貧国なことは知っていたが実際にネパールがどんな国なのか想像がつかなかった。

私のネパールの第一印象は「未知の国」。東南アジアとは何か違う。私が訪れたことのないなにも想像のつかない世界だった。初日に感じたことは、道路が整備されていないというところだ。道の端のところは凸凹していた。また、電線も整備されずにケーブルが絡まり合っているのを見て、初日でアジア最貧国に来たのだと実感した。



私はこの二週間ネパールの学生と過ごす中で彼らからたくさんのことを学んだ。クラウドファンディングのミーティングをしているときに思ったことはネパールのメンバーはみんなネパールの社会について理解しているということだ。私は日本の社会や日本の現状についてそこまで詳しくなかった。彼らを見て私も自国のことをもっと知らなければいけないと思った。一つの物事に対しての価値観・考え方がみんな違うということがよく分かった気がした。なぜなら、ほとんどの日本人は意見を人に合わせるという傾向がある。しかしネパールの人たちは「自我」をしっかり持っている。私たち日本人は一人一人が「自我」をしっかり持ち、意見を堂々と述べられるようになるべきだということを彼らから学んだ。



二日目にはmonkey templeというお寺に行った。ネパールメンバーがここのお寺は三つの宗教の人が来れるお寺だと教えてくれた。ネパールではヒンドゥー教の人が多いが仏教、キリスト教の人たちもいる。monkey templeにはその三つの宗教の建物があった。一つのお寺に三つの宗教の建物があるのは面白いと思った。他国の宗教についていろいろ知識を増やしたいと思うようにさせてくれた場所だった。

六日目にはジープに乗り約6時間かけて山の頂上のマイダン村に行った。そこで私は大きな衝撃を受けた。一言で表すと縄文時代にタイムスリップした感覚だった。今の時代でこのような場所に住んでいる人がいるのかと衝撃を受けた。

まず、料理する際に火を焚くということ。ニワトリが食用で家で飼われていること。水をタンクに入れて貯蔵していること。家が土でできていること。部屋の中がものすごく暗いことなど日本と違いすぎることが多くて驚いた。日本では水道水が飲めるほど安全だがネパールはそうではない。村では、貯めていた水を沸騰させて冷まして飲む。私はちょっとしたことだがそうやって飲むんだと日本との違いを実感した。ニワトリの鳴き声で起きたことさえも。

9月9日、マイダン村で「pig festival」が開かれた。この祭りは豚を殺して食べる祭りだ。

豚は自分が殺されるのを察したのか今まで聞いたこともないような大きい声で苦しそうに鳴いていた。その豚を先輩が殺した。私は豚を見ることも鳴き声を聞くことさえも辛くて出来なかった。あの状況で先輩が豚を殺したのは本当に勇気のいる凄いことだ。そのあと地元の方たちが調理をしてくれた豚を食べた。私は豚が殺される過程を目の当たりにし「いただきます」の意味がものすごく分かった。生き物の命をいただくことの大切さを実感した。

日本にいるときは殺す場面を考えたこともないし、当たり前のように毎日肉や魚を食べていた。私はこの経験をして「当たり前が当たり前ではない」ということに気づいた。だから私は水や食べ物への感謝を忘れずに生きていきたい。

日本では当たり前に通えている学校だがネパールはそうではない。マイダン村では何もせずに一日中遊んでいた少年たちがいた。その人たちがなぜ毎日遊んでいるのか気になり日本人メンバーともネパールメンバーともそのことについて話した。マイダン村には小学校はあるが中学・高校はない。そのため中学生・高校生以上の人たちは片道約四時間かけ隣の村まで通っている。毎日通うのはとても大変なことだと思う。だから学校に行かなくなった子どもたちが村で一日中遊んでいる。私たちは実際にマイダン村からリンネラハ村まで歩いて約五時間かけ移動した。整備されていない山。踏み外したら死んでしまうかもしれない道。私たちが山を下っているときに仕事している人や学生に遭った。大きなかごを背負っていたり教科書を山積みにして持っていたりして村から村に行くのを見て、こうやって普段から生活しているんだと考えると日本での生活はとても便利で安全なのだと感じた。

また村の学校の子供たちはほんとに元気で私の横から離れなかった。こんなに貧しい暮らしをしているにもかかわらず彼らはとても元気で楽しそうに学んでいた。また両方の村で生活実態調査をした。その中で私の記憶に残っていることは、マイダン村のホストマザーが言っていたことだ。この生活をしていて幸せかどうかを聞いた時に、「今の生活が幸せ。生まれ変わったとしてもマイダンで暮らしたい。」

その言葉に私はとても驚いた。その言葉を聞いて貧しいからといって不幸な訳ではないのだと思った。便利なものがなくてもお金がなくても家族の存在があって平和に暮らしていたらそれだけで幸せなのだということをこの村で学んだ。日本は先進国だし発展途上国と比べて相当幸せだなと私はずっと思っていた。だけどそれは間違っていた。どんな環境であろうと幸せと決めるのはその人自身である。

また、ネパールで過ごして感じたのはネパールの人たちは生きるために必死だということだ。教育の面でも日本との差を感じた。日本は進学・就職するために勉強しているのに対してネパールの人は生きていくために勉強をしている。必死な人たちを見て、生きている限り様々なことに挑戦し続けていきたいと思った。

 最後に、ネパールでの短い生活で価値観や幸せについて考えることのできるかけがえのない時間だった。日本では学ぶことのできない貴重な経験がたくさんできてよかった。
私がネパールで学んだことをたくさんの人に伝えて少しでも世界の現状について知ってほしい。


ネパール研修報告書(5)ホームステイ体験を通して感じた、経済発展の差の要因


タイトル:ホームステイ体験を通して感じた、経済発展の差の要因
鈴木 詩織

1年生である私が、この研修に参加するきっかけは突然だった。4月のある日、英語の授業が始まる教室に入ろうとした時に、先輩と思われる集団から「ネパールに行かないか。」と急すぎる誘いを受けた。私の大学4年間の目標は、価値観と人間関係を広げることだ。「ネパールに行ったら、価値観広がるかも。」と、特にネパールについて調べることなく、研修内容についてもよく分からないまま、勢いで参加を決めた。

 参加を決めてから、ネパールにはエベレストがあり、アジア最貧国だということも知った。出発3日ほど前から、緊張と期待と不安が混ざり合った複雑な感情が続いた。ネパール人メンバーと初対面したあの日からのネパールでの約2週間は、毎日が刺激的で振り返るとあっという間であったが、特に印象的だったホームステイ体験についてここでは詳しく述べようと思う。

 私達は、2つの村にホームステイをさせて頂いた。

1つ目の村は、マイダン村という小さな山の上にある雲の中の村だ。タンセンにあるホテルから、ジープに乗り込み、雲を下に眺めながら約2時間半。マイダン村に着いたその瞬間に思ったことは、「なぜここに人が?」ということだった。山に囲まれたその村は、人口は少なく、ガスはない、電気や水道などは十分と思えないような貧しい村だ。そこはまるで、縄文時代。藁の屋根に、土の壁。マイダン村で生活した2日間は、窓、時計、スマートフォンなど、日本ならどこにでもある物がなく、まさにタイムスリップ体験だった。2つのベッドが用意された3畳ほどの部屋をお借りし、2日過ごした。

 2つ目のホームステイ先の村は、マイダン村から山を下り、川を渡り4時間ほど歩き辿り着いたリンネラハ村。マイダン村より、人口は多く、ガスも通っており、マイダン村にはない、お店やレストランがあった。マイダン村から移動してきた私達には、この大きくはない村が大都市に見えた。私のホームステイ先にはWi-Fiやシャワーがあり、他のメンバーのホームステイ先よりも裕福といえる家にお世話になった。

これらの2つの村で私はそれぞれのホストファザーにインタビューをさせて頂いた。そのうち特に印象に残った2つの質問についてここで取り上げたい。まず1つ目は、「ここでの生活に満足しているか。」、2つ目は「村に対して誇りがあるか。」である。質問したところ、前者のマイダン村の答えはすべて「はい。」だった。私は、病院やお店などはもちろんなく、電気水道も充実しているとは言えない、この村に満足し誇りを持っている、という回答にはとても驚いた。一方のリンネラハ村では、答えは2つとも「いいえ。」だった。リンネラハ村は、マイダン村に比べると裕福で、電気や水道なども安定している(あくまで、マイダン村よりは)はずなのに、「いいえ。」と答えたのに、また驚いた。

このインタビューには続きがあり、マイダン村の方は「満足し、誇りがある。しかし、」と続き「隣の村へのアクセスが悪く、村が汚い。」と答えた。彼は、この村問題点に気づいてはいるものの、特に何か行動しようとする姿勢は、見られなかった為、この回答はどこか、他人事のように聞こえた。同様の質問をリンネラハ村でした際には「いいえ。なぜなら、」と続き「医療施設とインフラ整備を整えたい。」と、答えてくれた。私は、リンネラハ村のホストファザーの、現状に満足せずに村の不足点を見つけ、発展させようとする姿勢に尊敬した。この2つの村の経済発展の現状の差には、人口や、土地などもそうだが、主にこのような大人の意識の差が深く関係していると思った。つまり、前者は、村の問題点に気付きながら行動をしない、もしくは何をすればよいか分からず、行動ができない。後者は、問題改善への意欲が見えた、ということだ。

それを象徴する出来事として、マイダン村で、道の隅でボードゲームをしている男性達に出会ったことを挙げる。朝通っても、お昼に通っても、夕方に通っても、いつも同じ場所で同じボードゲームをしている彼らは、私にはどう見ても幸せそうには見えなかった。村の学校を卒業し、その後の生活の仕方が定まっていない彼らは、家の仕事をすることも、学校に行くことも、仕事に行くこともなく、ただただ暇をつぶしているらしい。彼らのような人がいる原因には、村に十分な量の仕事がなく、村の学校を卒業後、近くの学校に行くにも十分なインフラが整っていないことなどが挙げられる。彼らも、この村が貧困であり、問題点を抱えていることに気付いているはずだ。彼らは、それに気付きながらも、どう問題解決をするのかが分からないのか、ただ仕事が面倒なのか、どちらにせよ何も行動していない。

インタビュー対象者が2人であり、十分な調査とは言えないが、ホームステイ体験を通し、私の目にはこのように映った。村の現状に危機感を感じてはいるが、何をすれば良いのか分からない人が多数だとすれば、解決策を考え、行動する事こそが、村の発展に繋がると思った。国際支援には様々な形があるが、金銭的支援などでは根本的解決には繋がらず、村の発展を自分事として考えるように意識を変えさせることが必要だと思った。

最後になるが、先輩方に声を掛けられ参加を決めた自分を褒めたい。あの自分のお陰で、貴重で刺激的すぎる2週間を過ごすことが出来た。そして、私をゼミに向かい入れ、この研修を成功させてくれた、先生を始めとする、ゼミメンバー、ネパールメンバーの皆に心から感謝をしたい。この先の大学生活で、この経験を越える出来事に出会えるか不安であるが、この体験を自信にして、今後の学生生活を過ごしたい。






ネパール研修報告書(4)リスペクトから見えたこと

タイトル:リスペクトから見えたこと                  
西澤 朱里


私にとって2週間家族以外とこんなにも時間を共にするという経験は初めてで、ましてやネパールという旅行の目的地としては思いつかないであろう国での体験は毎日が驚きの連続で目の前で起こることに向き合うことに必死であっという間に過ぎてしまった。しかし、この研修は間違いなく私の人生で最も濃い内容の2週間だった。



「この研修中で難しい状況になった時一番大切なことは周りの人に対するリスペクト」

ネパール研修初日のオープニングセレモニーで関先生がまだ出会って数時間の私たち関ゼミ生とネパール人学生に言った言葉だ。これが異文化理解で最も大切なことだと研修前から教わってきた。私はネパールの文化をそのまま受け入れることが一番の敬意を示す方法だと考えた。だからネパール人のようにダルバートを手で食べたり、覚えたネパール語を現地の人に使って話しかけた。また、ネパール人メンバーも日本語や日本文化に興味を持ち、この言葉を日本語ではなんていうのか、日本の生活はどうネパールと違うのかしきりに質問された。このように私たちは頻繫にお互いの文化を交換してきた。特に私が一番好きなネパールの文化はリスペクトと親しみを込めて「全員を家族」と考えるということだ。そのため年上の男性をダイ(お兄ちゃん)、年上の女性をディディ(お姉ちゃん)、年下の男性をバイ(弟)、年下の女性をバイニー(妹)と呼ぶ。ネパール人学生とレストランに入った時やおみやげ屋さんに行った時、見知らぬ人に対してでさえダイ、ディディと呼んでいたことに驚いた。初めて出会った人に対しても相手への敬意を忘れず、家族のように接するネパールのこの文化が私はとても好きになった。実際に私が村にホームステイをした時も、言葉もわからない異国から来た私を家族として受け入れてくれ、村の子供たちがディディと呼んで慕ってくれたことが忘れられない。日本人は、ここまで温かく見知らぬ外国人を受け入れられるだろうかと疑問に思った。この文化に倣って私たちはプログラム中はダイ、ディディ、バイ、バイニーといったネパールの兄弟を呼ぶ愛称でお互いを呼びあった。呼び方を変えただけでも、私たちは家族になったような親密な気持ちになり私たちの絆はさらに深まっていったように思う。



私が異文化理解において、なぜリスペクトが大切なのかという疑問について学んだことは「敬意を忘れないでいれば、相手にもその気持ちが伝わり相手も自分に敬意を示してくれる」ということだ。例えばネパールの文化は日本ほど時間に厳しくない。しかし、私たち日本人が毎回時間ぴったりかそれ以前に集まるのを見て、「私たちも時間を守らなければいけないと思い、行動するようになった」とあるネパール人学生に言われた。また、私たちがネパールで行った学生サミットでは私たち日本人メンバーは大きなプレッシャーを感じていた。特にサミットの前日は夜遅くまで各自最終確認に追われていた。一方で、ネパール人メンバーはそれほど焦りを感じていないように思えた。翌日目が覚めると、同じ部屋のネパール人メンバーがノートを見ながらサミットの練習をしていた。ほかのメンバーも早朝から必死に練習していた。この姿を見て、彼らが私たちと一緒に緊張感を共有してくれたことをとてもうれしく思った。

また、私たちが体力的に最も大変な経験をしたのがマイダン村からリンネラハ村への移動だ。山を登ったり下ったりしながら4時間の距離を歩いた。私たち大学生ですらきついこの道のりは、子供の学校までの通学路だという。毎日この道を往復することに耐えられず、進学を断念した子供はやることがなく村で遊んで毎日を過ごすようになる。それほどネパールでは教育の環境が整っていないことをこの道中に学んだ。山登りの経験のないメンバーもいたことや、体力や歩く速度に差が出て私たちはバラバラに山を登っていた。しかし、この時も私たちはお互いへのリスペクトを忘れず、山登りに慣れている人が先頭に立って誘導してくれたりと、助け合いながら歩く速さの違う3つのグループに分かれていた。自然と常にチームでいることを忘れず行動していたのだ。



私はこれまで「できることなら楽をして生きたい」と考えていた。しかし、勉強をすることをあきらめてボードゲームをして過ごす村の少年たちの生き方は楽かもしれないが、とてもつまらなそうに感じた。そして私が出会ったネパールの人々は楽をしたいという人よりも向上心の強い人が多く、今の現状を変えようとしていた。その理由が彼らの家族だ。彼らは家族に自分よりもいい生活を送ってほしいから必死に働いてお金を稼ぐ。自分の村がもっと豊かになってほしいから自分が若者を教育したい。ネパール人は家族という言葉をよく使うが、それは本当の血のつながった家族だけを意味するのではなく、友達や自分が暮らしている地域の人々など自分の大切にしているもの全てが家族になり、そう呼ばれることには彼らの尊敬の気持ちが込められているのだと感じた。

 プログラム中たくさんの困難があった。しかし、そのたびに困難を乗り越えることができたのは私たちが単なるチームではなく、家族のような強い絆を築くことができたからだ。そしてこの関係を築けたのはお互いを常に尊敬し、お互いの文化を受け入れたからだ。マイダン村からリンネラハ村への移動で4時間の山道を歩いた時やサミットの成功の後、このメンバー全員で困難を乗り越えたときに今まで感じたことのない達成感を感じることができた。

 最後に、日本人とネパール人の尊敬に対する観点から1つだけ全く異なる点を見つけた。ネパール人は自尊心が高い。人を尊敬するという考えの中に日本人は自分を含んでいるだろうか。自分に誇りを持っているからこそ周りの人を純粋に尊敬できるのだろう。自分を肯定することは難しい。自分に自信を持つために努力を忘れてはいけない、そう感じた。


ネパール研修報告書(3)後悔と経験

タイトル:後悔と経験
小山純平

この報告書では、「後悔」と「経験」について書きたいと思う。まずは、「後悔」について。「このプログラムに参加する前、大きな不安があった。それは、「英語力」である。関先生にもそれについては言われており、自分なりに英語の勉強を頑張ってきた。そして当日を迎えた。最初は、思っていたより、コミュニケーションが取れていた。自分の成長に少し驚きもしていた。しかし、ネパール人学生と過ごしていくうちに自分がやはり英語の壁にぶつかっていることを感じた。それは、「会話はできても、議論ができない。」である。この研修に参加することの最大の利点は、「現地のネパール人学生と、貧国などの問題について意見交換ができる。」だと思っていた。しかし、それは英語が出来てのことなのだと感じた。ネパール人学生はみんなとても優秀で、このプログラムには貧困と教育、幸せについてたくさんの自分の考えが想いを持って参加してきてくれていた。私は、それを何回も繰り返してもらいながら理解するので精一杯だった。本当に悔しかった。自分も、「思ったこと、感じたこと」を「言語化」して話そうとしたが、その「言語」が、英語か日本語かだけでこんなにも難しいものだということを痛感した。しかし、この悔しさは自分の英語学習への高いモチベーションとなった。帰った今では、プログラムの前以上に真剣に英語学習に取り組んでいると思う。なぜ今まで以上に頑張っているか言うと、やはりあの研修での「後悔」があるからだと思う。そして、来年どこで行われるかまだ分からないが、絶対にまたプログラムに参加してこの悔しさを晴らしたいと思う。
次に「経験」について。これについては、マイダン村でのホームステイ生活について述べる。マイダン村は、今まで僕が人生で行ったどの場所よりも衝撃を受けたところだった。家はすべて木や土で作られていて、夜は村全体が暗闇に包み込まれて、ライトがないと歩けないほどだった。ボーイスカウトの経験があり、自然に囲まれた生活には慣れている方だと思っていたが、最初は衝撃を受けるものばかりであった。しかし、徐々にその村生活も楽しくなり、全体を通してストレスも他の日本人メンバーよりかは少なかったと思う。この時、私はこの村で、人生で一番といっても過言ではない、ものすごい経験をすることは予想もできなかった。マイダン村の2日目は小学校での授業から始まった。最初はみんなシャイだったが、徐々に子供たちは全力で楽しんでくれていた。また、外で遊んだ時にも、みんなで痛いくらい自分に抱き着いてくれた。この時に、私は言語なしで交流ができることを学んだ。そして午後になって、村の方々がネパールと日本の「交流祭」のようなものを開いてくれた。そこでも、皆踊ったり歌ったりまるで相手が「異国人」であることを忘れているくらいに一体感を生みながら交流を深めた。学生メンバー同士も、この祭りを機にさらに絆が深まったと思う。そしてついにその時が来た。先程言った、私が人生で一番大きな経験をしたことだ。実はこの祭りが始まる前、関先生からこんなことを言われた。「今日の祭りのメインイベントで、豚をその場で殺す。誰かやりたい人いますか?」。最初にその言葉を聞いた時は、理解するのが遅れた。しかし、先生の言葉以上に理解しかねたのはそのあとの私自身の行動だ。その言葉を完全に呑み込めていない状態で「やりたいです!」と名乗りでてしまった。最初、名乗りを挙げた時は、みんなから驚かれた。「怖い。」とも言う人もいた。でも、この時私は、「自分は英語が苦手だ。でもそれのせいでこの研修が失敗だったとは思いたくない。それ以上にたくさん経験を積みたい。」と考えた。ひどい考え方ではあるが、この豚を殺すことで何か得られるものがあると思った。ついに豚が広場の真ん中に置かれた。脚は縛られてあったが、自然の木とロープであったがために完全に固定されている訳では無いので、大人4人くらいで押さえつけられても激しく抵抗していた。これから殺される運命が分かっているかのようだった。それを見ても、あまり何も感じず、ただ平然とその時を待っていた。間もなくしてナイフを渡されてついにその時がきた。豚に近づいていくにつれて喚き声も大きくなっていた。村の方に豚の首の部分を指差され、「ここを切れ」と指示された。私は無心で首にナイフを入れた。これまでに聞いたことのない豚の喚き声と、刃を体に入れるたびに伝わる肉の感触は本当に恐怖だった。さらには、みんなの悲鳴や泣き声も聞こえてだんだん自分のやっていることが本当に正しいのか分からなくなっていた。全てを切り終えた後は、何も考えられずただ茫然としていた。頭と胴体が切り離された豚と血まみれで立ちすくんでいる私。仲間の元へ戻ると皆が泣きながら僕を励ましてくれた。そしたらなぜか私も涙が止まらなくなった。こんなに泣いたのは初めてだった。この「経験」は本当に貴重だった。

最後に全体を通して、ネパール人を見るとその多くが「笑顔」だった。村は電気もガスもなかったが、それで悩んでいる村人はいなかった。日本には「相対的貧困」という言葉がある。このことについて我々はサミットで劇を行った。「皆と同じ遊びがしたいのに出来ない。」、「皆が大学へ行っているのに行けない。」。こんな悩みを抱える子供が日本にはかなりいる。でも、ネパールにはそんな悩みを抱えている人はほとんどいない。みんな今の生活に満足していると答えた。この事で、「貧困率」と「個々の幸せ」は全く関係ないものだと分かった。日本にはこの「相対的貧困」で悩んでいる人がたくさんいるらしい。この研修で僕は貧困「問題」は、ネパールよりも日本の方が根深いものだと思った。このことを研修で初めて気づいた。もっと早く気づくべきだった。僕たちはこれからもネパールの貧困問題について考えていく。でも同時に、日本の問題についても考える。そのためにもこの研修で学んだ、感じたものを日本と照らし合わせながら、多くの人に伝えていく。この「後悔」と「経験」は僕を大きく変えた。


ネパール研修報告書(2)尊重の上での異文化交流


タイトル:尊重の上での異文化交流 
井上亮  
              

今回の研修を参加するにあたり、私はこの研修における個人的な目的を設定した。それはネパール文化における複雑性や単純性を実際に現地の人からの情報を頼りに探ることと、文化形成の源になりうる要素を自分の目で確かめることである。これは、私の個人的な研究に非常に重要な項目であり、内陸国で自然が豊かな特徴を持つ、いわば日本と異なる性質と似た性質を兼ね備えている国を調べることは、かなり役立つ情報を得られると考えたからだ。その上で現地の人との交流は非常に重要であり、今回の強力なパートナーシップを結ぶというゼミ研修本来の目的も、個人的にはかなり大切なことであった。今回は自分の研究についてではなく、その交流を深めた際での気づきについて述べていきたいと思う。私の研究内容に関しては総合研究ノートにおいて述べるものとする。

まず、私がリンネラハ村に訪れた時の交流について述べていきたいと思う。その時の私のホームステイ先は小学生の男の子がいる家庭であった。その子の英語能力は非常に高く、意思疎通するのに特に困ることはなかった。英語能力だけでなく、ほかの学問の知識も非常に優れていた。私が、ネパールの土地の肥沃さについて尋ねた時、学校の地図帳を持ってきてはその様子を事細かく丁寧に教えてくれた。ほかにも彼は非常に社交的で、非常に勤勉な性格をしており、自ら日本語を学びたいと志願したり、私の様子を常に気にかけてくれたり、冗談を言ったりと、外国人である私に対して親密に接してくれた。今回も彼が家族に日本人をホームステイさせたいと志願することで、その家庭でのホームステイが可能になったのである。彼のこの外国人に対する積極性や、意思疎通を図ろうとする姿勢は、私自身とても考えさせられた。彼の父親曰く、彼がこれほど外国人とコミュニケーションをとれるほど成長したことに誇りを思う、とのことであった。そんな彼とのホームステイ生活中に、私はあるカルチャーショックを体感することになる。それは、リンネラハの学校における、教育実習でのことである。私は、今回の研修のコーディネーターであるシティズ氏に頼まれ、和楽器の篠笛の演奏を教員含む校舎関係者全員の前で行った。その時に、静けさを尊重する演奏の中で、何人かのネパール人(主に教員)が、その中で話をし、笑っていた。私は自分の演奏を害された悔しさと、文化の違う人にもこの静けさの文化を伝えられなかった自分の不甲斐なさで悲しくなった。演奏の後、私はその場にいることができず、一番仲の良かったネパールの友人とともにその場を一時離脱した。その友人は必死になって私を励ましてくれ、何とか気分が落ち着いた。そのあとに私はクラウドファンディングにおける契約書の作成に携わり、精神的にもかなりきつい状態になった。そんな状態でホームステイ先に帰ると、あの少年が私に駆け寄ってきた。そして「亮の演奏、すごくよかったよ!すごく静かで綺麗な音で、とても感動したよ!」と、その感動を全身で伝えてくれた。この時、私はすべてのことが報われたように思われた。そして私は彼から、本当の“リスペクト”を教えられた。彼の私に対する姿勢は、ただ単に興味や関心があるだけで接するのではなく、自分の持っている能力でもてなしをし、実際に相手の文化を感じようとする姿勢だったと私は思う。英語能力や地理に関する知識で私の調査を助けてくれただけでなく、彼は私の演奏の真髄を無意識であろうと感じ取ってくれようとしてくれたのであった。異文化交流においてリスペクトが必要であると関昭典教授もおっしゃっていた。しかし私は頭では理解していたつもりで、実際には理解できていなかったのかもしれない。しかし、それを彼が私に身をもって教えてくれたのだと思う。私は彼に感謝を込めて彼の似顔絵とメッセージをかいたスケッチブックの紙を渡した。


“尊敬”という点において、私のあるネパールの友人についても述べたいと思う。今回関昭典ゼミが行ったクラウドファンディングについて、現地のネパール学生とも議論が行われた。彼らは今回のクラウドファンディングのことについて個々に真剣に考え、時には政治的思考の違いによりネパール人同士で討論が勃発するほどであった。翌日、私たちがホームステイ体験最初の村、マイダンに到着した時のこと、私はその友人とたわいもない話を二人で話していた。そんなとき、彼はふと、「亮、ネパール人は少し威圧的過ぎるかな?」と私に尋ねてきた。豆鉄砲を食らった鳩のようにあっけにとられた私は、なぜそのようなことを聞いたのか尋ねた。彼はネパール学生のその積極性に日本人学生は気が引けていたのではないかと思っていたようだった。実際、その議論に関しては、日本人学生はネパールの現状をよく知っているネパール人学生の意見に納得し、あまりそのことに口が出せないのが現実であった。その場において情報が欲しかった私たちとしてはその議論は非常にありがたかった。なので私は、そのような姿勢が議論を呼び、今回のプロジェクトをよりよくするのでとてもありがたいという旨を伝えた。彼は安心した様子を見せると、もっと日本人も話せるような環境を作るべきだと述べていた。私は彼のそういった、配慮の姿勢から多くを学んだと思う。
現状として、日本において日本人の非積極性が批判されている。しかし私は、日本には日本のやり方があり、外国には外国のやり方があり、それに随時合わせていくのは極めて困難である考える。その中で、互いの文化の中で互いの妥協点を見出し、異文化混合の集団の個々を配慮したファシリテーティングが重要になってくるのではないかと考える。

これらの他文化の人への尊敬を持ったアプローチは、グローバリズムであろうとナショナリズムであろうと、持ち合わせておくべき能力なのではないか。

ネパール研修報告書(1)自己分析の旅


本日から毎日ネパール研修の振り返りとして、ゼミ生の報告書を掲載していきます。
第一回目は副ゼミ長石野田明日葉さんです。

タイトル:自己分析の旅
石野田明日葉

ネパール研修で私はリーダーシップや異文化間でのコミュニケーション、ネパールの文化、伝統、生活のあり方など本当に多くを学んだ。

しかし、私はこれら一つ一つの学びには共通点があるのではないかと帰国してからずっと考えていた。そして、ある答えに辿り着いた。

それは、この研修は『自己分析の旅』であったということ。

ネパールでの貴重な経験や学びの全てが自己分析に繋がっていると考えたのだ。



実はネパール研修へ行く前、当時の自分の状態を記録するため日記を書いていた。

ネパールから帰国して数週間経ち、改めてその時の日記をみて驚いた。

そこには

「自分のやりたい事が何かわからない」

「私は何のために頑張っているのかわからない。」

「私は他人と自分を比較しすぎている。」

「英語が話せないから研修で一人きりになってしまったらどうしよう。」

「周りの人は自分に比べていい経験をしいて将来が見えていると余計なことばかりに目がいってしまって自分の事が見えていない。」など自己否定や悩み事がダラダラ書かれていた。

私ってこんな人間だったっけ?と思うほど今の自分の状態とほんの数ヶ月前の自分の状態が180度変わっていたのだ。

きっとこの頃の私は、自己分析が全くできていなくて他人と比べては、自分は何がしたいのかを探そうとしていたのかもしれない。



そんな私が様々な理由によりネパール研修でリーダーを務めチーム全体を率いる事になった。これは、私にとって自分を変える大きなチャンスだった。

ネパール研修前日、私はリーダーとしてゼミ生みんなを引っ張って行けるのか、英語が話せない私は現地の学生達とコミュニケーションを上手く取れるのか、不安でいっぱいだった。しかし、「もうここまで来たら全力で取り組んで悔いのないように研修を終えてやろうではないか!」と覚悟を決めたのを覚えている。



人生初めてのネパール研修はとにかく衝撃的な景色や瞬間の連続で日々感情が移り変わって行った。生活も日本にいたら想像がつかないくらい異なるし、日本での当たり前があの国では全く通用しない。

中でも一番印象的だったのはマイダン村での二日間とそこに行くまでの道のりでの心境だ。

バスで8時間もの移動があったり、ジープで道なき道を5時間移動することもある。

その道中で私は関先生と自身のことについて話したり、一人で窓の外を眺めながら自己について考えたりした。





ある時、先生から「明日葉さんはすごく丁寧な人です。」と言われた。

研修中ずっとメモを取っていたり、一つ一つの作業に時間をかけて細かくやる様子などを見てそう思ったと教えてくださった。

そんな事を言われた事が無かった私は自分にもこんな一面があったことに驚いたし、嬉しかった。今までは、周りから大雑把と言われつづけていたためいつの間にか自分は大雑把な人間だと勝手に決めつけてしまっていた。

心の中で、「あ、私は丁寧に作業をやってもいいんだ。時間をかけるときがあってもいいんだ。」と“大雑把な人間である”と自分に貼られたレッテルがスーッと落ちてゆく気がした。

このようにネパール研修での毎日は、今まで生きて来た中で私に貼られて来た様々なレッテルが剥がされていき、新たに自分で自己を形成して行くような日々だった。



なぜ、こんな事ができるのかひたすら考えた。

考える中で私はマイダン村での生活を思い出した。

その村は、水道を多数の家庭と共有、インターネットの電波はほとんど無し、テレビも無くて、水は雨水など貯めたものを使い、飼育されている動物達と共存し、家の壁は赤土で出来ていて、電気は家の中に小さな電球が1つか2つある程度、ガスは通っておらず、トイレも流れない、そして周りは大きな山々に囲まれている大自然の中にポツンとある小さな村。ないないだらけの村だ。



しかし、ここでの生活は私にとって非常に豊かであり自然体でいる事が出来た。

まず、朝は動物達の鳴き声と共に目覚める。顔を洗いに外に出ると新鮮な朝の空気が出迎えてくれる。大きく深呼吸をして「今日も一日頑張ろう」と自分に言う。



この村で活動をすると本当にチーム一人一人の人間性が垣間見える。

そのため私はリーダーとして常に周りに目を配り、その時々で自分が何を思ったのか考える事が出来た。

生活に必要最低限のもの以外何もない生活をしていると自然と人は他者との交流に目が行きコミュニケーションをとるようになる。そして、そこで得た自分自身の感情とも向き合えるようになり自己分析ができるようになる事がわかった。

多くの時間を他者との交流に使いその中で新しい文化に触れたり、価値観に触れることにより、今まで気づかなかった自分自身の新しい感情に気づく事ができた。

日本にいる時と違ってネパールには自分にとって余計なフィルターが無い分、自身の感情がダイレクトに伝わってくる。

ここでいうフィルターとはSNSで見る他人の情報やテレビの情報、また周りの人から貼られるレッテルのようなもの。

マイダン村での生活は特にこのようなものが一切無かったから私は自分と向き合う事ができた。
マイダン村の写真


そして、帰国した私がどんな風に変わったかと言うと。

・ネパール人と交流する中で英語力の低さを思い知ってもう一度ネパールの皆と自分の言葉で会話が出来るようになりたいと思い英語学習をはじめた。=目標が出来た

・リーダーとしてチームを率いて研修をやり切った事が自信に繋がり新しいことにもっと挑戦したいと思うようになった。

・自己と向き合って行く中で新たな一面を発見できたお陰で自分の意思で物事を決めていけるようになった。

・他人と自分を比べなくなった。



帰国してから、やりたい事が出来て目標を達成するために日々努力している。

そんな時間が私にとっては幸せな時かもしれない。



多くの人が普段、自分が身を置いているのはきっと自分にとって居心地のいい場所だろう。

そこから一歩外に出るのはとても怖いしできる事なら出たくない。

私もそんなことを思っていた。

ただ、勇気を出して一歩外に出て見ると今まで見たことのない景色や自分の姿を発見する事ができる。

この旅で得る事が出来た“自分”はこれからの私の人生を大きく変えて行くだろう。


外務省とJICA地球ひろば後援!!学生交流プログラム報告会イベント




1117日(日)にJICA地球ひろばにて、外務省とJICA地球ひろば後援の学生交流プログラム報告会イベント「交流、友情、グローバルパートナーシップ」多文化共生時代の国際交流プログラムを開催いたします。

ネパールでの国際学生交流を通じて学んだことを皆様と共有します。長年共に活動しているAAEE,アジア教育交流研究機構との共催です。
関ゼミ主導で実施したクラウドファンディングや「日本―ネパール国際学生サミット2019」のご報告も兼ねています。関ゼミの活動がどれだけ素晴らしく意義深いものであるか間違いなく理解していただけます。また、他大学の学生が多く参加するため、皆さんのネットワークを広げるチャンスです!

さらに、来年度のゼミ選びに迷っている方にもぜひお越しいただきたいです。関ゼミは人間力、多文化対応力、英語力を楽しく伸ばせる最強ゼミです!
ご質問などありましたら、関ゼミ生(ゼミ長 海野真由 メールアドレス17e0382@tku.ac.jp)か、ポスター記載の連絡先までお問合せください。また、参加を希望される方はFacebook のページで「参加する」を押してください。Facebookをやっていない方は、その旨メールでお知らせください。
皆様の参加をお待ちしています。

主催:AAEE、アジア教育交流研究機構
共催:東京経済大学関昭典ゼミナール
日時:1117日(日)、14001700
   1300~受付開始・入退場自由
会場:JICA地球ひろば 6階 セミナールーム600 (最寄駅は市ヶ谷です)
後援:外務省、JICA地球ひろば
参加費:学生)無料、社会人)500


AAEEホームページ  http://aaee.jp/news/2019/10/000358.html

Mero Sathi Project 2019 Sepの全貌を研修日誌にて一挙公開!


 94日からスタートした二週間に及ぶ9月版メロサティプロジェクトの研修日誌がついに完成いたしました。この研修日誌は今年が初めての試みで、ゼミ生が毎日を振り返り、学生視点でその日の体験やネパール学生との交流から得た学びを綴っています。また、ネパールで経験しないとわからない気づきなど細部まで記載されているので、これを読めばまるで私たちとネパール研修に行ったかのような気持ちになれます!

とても濃い二週間を研修日誌にまとめたのでぜひご覧ください。


 研修日誌は以下のリンクからご覧いただけます。


2019メロサティ報告日誌

ネパール研修 5日目 OKバジさんと朝食&ネパール人学生と日本人学生によるフードエクスチェンジ

 OKバジさん(垣見一雅氏、ネパール支援家)との朝食勉強会)→タンセンからマイダン村に向けてジープで出発)→ネパール人学生と日本人学生によるフードエクスチェンジ→ホームステイ)
 
 5日目の今日は、朝8時からOKバジさん(垣見一雅さん)との朝食会という何とも贅沢な活動で幕を開けました。
関先生が代表理事であるAAEEアジア教育交流研究機構のメンバーでもある垣見さん。ネパールの辺境の地に25年間も住み、村から村へと移動しながら多くのの村を救っている方です。ネパール元国王賞、ヘルシーソサイアティ賞、吉川英治文化賞など数々の賞を受賞し、テレビにも多数出演していると聞いていたので、私達とは全く別の世界の方と想像していました。
    80才という年齢を感じさせないほど颯爽と現れた垣見さん、席に着くや否やすぐに笑顔で皆に語りかけてくれました。ネパールを支援することになったきっかけから始まり、具体的な活動内容に移り、最後にはこの地での活動を通じたさ心境の変化を詳しく話してくださりまさした。「幸せとは何か」という誰もが興味を持ち、しかし難しいテーマについても、ご自身の経験をもとにわかりやすく説明してくださりました。「人の幸せが自分の幸せ」と言い切る垣見さんのお言葉はご自身の経験に基づいているので説得力がありました。私たちの心に深く突き刺さるお話ばかりで、とても参考になりました。垣見さんのように人に幸せを与えることのできる人になるために、まずはしっかりと勉強しいろいろな経験をしなければと強く感じました。



    その後ホームステイのため、マイダン村に移動しました。想像を絶する道のり。激しく揺れるジープ、車の荷台に乗ってこようとする子供、車のタイヤの1メートル先は崖。そして荷物とともにぎゅうぎゅうに詰められた私たち。しかし、窓の外に車の荷台に乗せられて移動する多くの人々を見たときに、ネパールの人がどれほど厳しい現実の中で支え合って生きているのか肌で感じることができました。

    2時間半かけて目的地のマイダン村に到着すると、目の前に広がっていたのはまるでタイムマシーンで1000年前に戻ったような光景です。ヤギや鶏や犬や猫が村を自由に歩き回り、土壁の家、さらには、多くの家庭が一つの公衆水道を共有しています。数時間前までのネパールの町の光景とはかけ離れたものでした。
村長さんと村唯一の学校の校長先生の歓迎を受けた後にネパールの日本メンバーのペアでホームステイの家に案内されました。どの家庭も、4畳ほどのスペースには藁の2台のベットとそこにカーペットを敷いたものだけ。しかし、衝撃を受けたのは私たちだけではありません。ネパール人学生もこれほど辺境の、整備されていない村は初めてと開いた口が塞がらない状態でした。
    ネパール人学生と日本人学生によるfood exchange (食べ物交流)では、それぞれが料理を振る舞ったり、相手国の料理を一緒に作ったりしました。ネパールの人々は スジコハルワ というネパールの粒状のデザートを作ってくれました。スージーという小麦のようなもの、ギーというミルクからできた油、砂糖と水から出来ているもので、味はきな粉のような味でとても美味しかったです。私たち日本人学生は餅とお好み焼きを振る舞いました。ネパールメンバーの口にあったらしく、すぐにお皿は空っぽになってしまいました。

    そして、ついにホームステイ先での生活。夜8時には村が静まり返ってしまいました。普段日付が変わる頃まで起きている私たちは、古代日本のような家でネットの繋がらない長い夜をどう過ごすのか戸惑いました。ネパールメンバーといろいろと語らいあおうとしましたが、気づけば寝てしまっていました。またしても衝撃的な1日でした。

東京経済大学オープンキャンパスにて大学を代表してゼミ紹介!

(English follows below)
 8月1日、東京経済大学オープンキャンパスにて大学を代表してゼミ紹介をしました!

この発表は9月にネパール海外ゼミ研修中に開催する「ネパール・日本国際学生サミット」のリハーサルも兼ねていたため、全て英語で発表させていただきました。

はじめに日本の踊りの発表です。冒頭でゼミ生全員でソーラン節を踊り、その後ソーラン節の意味と、踊りの背景にある日本文化を説明しました。授業外にゼミ生が自主的に集まって踊りを教え合い練習を重ねてきましたが、まだまだ不十分でした。ネパールに行くまでにさらに練習を重ねます!

 次に日本の貧困問題を劇仕立てで発表しました。なぜ劇にしたかというと、サミットには小・中学生も参加するからです。普通の発表の連続では飽きてしまうと考えました。日本は先進国で、豊かだと思われることも多いですが目に見えにくい貧困『相対的貧困』が大きな問題です。ネパールの人たちに日本は決して豊かなだけではない現状をこの劇を通して伝えたいです。

 ところで、私たちのゼミはネパールの貧しい子どもたちの助けになるためのクラウドファンディングに挑戦していました。そしてつい先日、大変多くの皆様の協力のおかげで最終目標金額80万円を達成することができました!集まりましたお金は私たちが責任を持ってネパールへ届け、継続的に子どもたちの成長を見守っていきます。

クラウドファンディングの詳細をこちらのリンクをご覧ください→https://readyfor.jp/projects/24934/announcements/109448

オープンキャンパスの時点では挑戦の途中で結果はわかっていませんでしたので、取り合えずクラウドファンディングの目的と仕組み、さらに公開するまでに取り組んだ準備や調査活動の内容を発表しました。

最後に日本とネパールの留学に関する意識調査の発表をさせていただきました。この調査の詳細は後ほど改めて紹介しますが、調査を通じて日本と教育事情、経済事情など様々な観点で日本とネパールの違いが見えてくるのではないかと考えています。現在はオンラインのアンケート調査への回答を元に分析をしている最中です。関先生が代表理事をされているAAEE,アジア教育交流研究機構の学生の皆様にもご協力いただいています。結果はサミットなどで発表します。

数あるプログラムの中から関ゼミを選び見に来てくださった皆さまありがとうございましたネパール研修もまもなく始まります!残り少ない時間でしっかりと準備を進め、帰国後は、皆様に成長した私たちの姿と成果をご報告させていただけるよう頑張ります。

We introduced our seminar activities on behalf of our university at the Open campus of Tokyo Keizai university where high school students visited a university on the 1st of August.

This presentation was a rehearsal of “INTERNATIONAL STUDENT SUMMIT 2019”, which will be held during our overseas training program in Nepal this September. Therefore, we made our presentations in English.

First of all, we presented a Japanese dance. All of our seminar members danced Soran Bushi. After that, we explained what Soran Bushi is and Japanese tradition related to the dance. We think our practice was not enough. We will practice more before going to Nepal.

Next was a drama about a poverty problem in Japan. Primary school students and high school students will participate in the summit. To prevent them from getting bored, we decided to use the drama. Though Japan is one of the developed countries, there is still a big poverty problem called “Relative poverty”. Through this drama, we would like to tell Nepalese people our country is not only wealthy also has the problem.

As you may already know, we tried crowdfunding to help needy children in Nepal. Thanks to many people’s support, we finally achieved JPY 800,000, which was our final goal. We promised to fulfill our responsibility of delivering the donation to Nepal.

We greatly appreciate the support many people have given us. The detailed information of crowdfunding is herehttps://readyfor.jp/projects/24934/announcements/109448

Finally, we made a presentation of a survey on people’s awareness about study abroad in Nepal and Japan. We guess we could find differences in their ideas, attitudes, and experiences between the two countries depending on their education and financial situations. We are conducting a questionnaire survey online now, supported by AAEE, Asia Association of Education and Exchange. The results will be announced at the summit and other occasions.

We’d like to thank all the students and teachers who visited our seminar’s presentations. Our training program will start soon. We will continue to prepare for the summit and do our best to show you our progress and results of this project after we come back to Japan.

ネパール研修まであと1週間!


いよいよ待ちに待ったネパール研修が始まります!ネパール学生と2週間共に過ごすことは楽しみですが、やはり少し緊張しています。

しかしクラウドファンディングで支援してくださった方の想いも込めて、しっかり学び、研修をより良いものにしていきます!
Mero Sathi project Sep のメンバー紹介動画もぜひご覧ください。



One week left to go Nepal!

We are looking forward to Mero Sathi project Sep and meeting Nepalese students!
Please watch the introduction video of Mero Sathi project member.



関ゼミ宿泊合宿!!

<English follows blow>

  皆様、こんにちは。6/12に私達は、毎年恒例の合宿を行いました。今日は、合宿のお話しです。
  1日目〜

  お昼頃に国分寺駅に集合し、腹ごしらえを済ませて、バスに乗り込みました。今回は、東京経済大学武蔵村山キャンパスで行いました。バスでは、レクをして大盛り上がり!あっという間に、到着です。まずは、ネパールにて披露予定の、ダンス練習です。ダンス未経験者も頑張りました。


  次は、運動会です!関先生チーム、ゼミ長チームに分かれ、選手宣誓をして運動会の開幕です。玉入れ、ぐるぐるバット、二人三脚、バレーボール、バスケで、盛り上がりました。結果、大接戦の末に引き分けとなり幕を閉じました。

  夜ご飯は、皆で餃子作り!こっそり、ワサビを入れたものも作ったのですが、先生が引き当てました。引きが強いです

  お風呂を済ませ、会議室に集合です。カードゲームのためかと思いきや、2日が誕生日の亮さんのための、先生も協力の盛大な逆ドッキリのためwent なのです!ドッキリは大成功で、とても楽しかったです。
〜2日目〜
  朝ご飯を皆で作るはずが、アイスに変更になり、アイスを食べながら夜のドッキリの話で盛り上がりました。
  お昼ご飯の後は、真面目な話合いです。ネパールの小学校で行う授業の打ち合わせや、間もなく発表となるある計画(お楽しみに)に向けて準備をしました。合宿の最後は、当初の計画では、ネパールで行うミニ授業の練習!だったのですが、急遽プリクラに変更です。髪をセットし、ショッピングモールに行き撮影しました。可愛いですか??

  バスに乗り遅れたりなどありながら、無事に合宿は終了しました。

 真剣な学びゼミ合宿とおもいきや、9割遊んだ合宿でした。しかし、ネパールに向け、仲を深めること(チームビルディング)が1番の目的だったので、合宿は大成功だったと思います。新たに四年生の2人がメンバーに加わり、9人となった、関ゼミ!ネパール研修に向け、これからも頑張ります!!
  お読みいただきありがとうございました。




Hi there. We went through an annual 2-day team-building camp from 1st to 2nd June. It was just amazing. we would like to share the experience with you.

~ 1st day~
 After having lunch together at Kokubunji, we headed to the TKU Musashimurayama campus by the school bus. It took about 50 minutes, but we felt it a very short time because we enjoyed chatting and playing games.

Soon after we arrived there, we started with practicing a Japanese traditional dance for the summer study tour in Nepal.  Chisato, who used to be a member of the dance club taught us how to dance it. We practiced so hard under her instruction.

After practicing the dance, sports competition followed. We were separated into two groups, one was called ‘Mr. Seki’s team’ and the other was Mayu’s team (Mayu is the student leader of the seminar), and competed in different games, specifically, the ball-toss game, the relay race with dizziness, the three-legs race, the volleyball, the badminton, and the basketball. The competitions resulted in a draw. We were so tired after trying all those games, but we had a fun time.  

After that, we cooked a lot of gyozas (a kind of fried dumplings) for dinner. We secretly put much wasabi (horseradish) into some of them. Unfortunately, it was MR. SEKI and one other member that ate the gyozas with Wasabi. Their reaction was so interesting!

 We were planning to play cards after dinner. However, because it was the birthday of one of the members was coming within a few hours we had decided to give him a surprise, and we made it! He was very surprised.

~2nd day~
 We were planning to cook rice balls for breakfast, but we had to change a plan, because the rice Mr. Seki kindly brought for us was too old (two years old!!! Unbelievable). As a result, we had ice-cream for breakfast!
After some activities in the morning, we had lunch at shabu-shabu restaurant and ate a lot. In the afternoon, we prepare for the classes we are going to teach in an elementary school in Nepal, etc. As the end of the camp, we went to the shopping mall nearby and took photos (Puri-kura). It’s cute, isn’t it?

Before the camp, we had thought that it was something serious. However, actually, it was really fun and we had a great time. Team-building is one of the important things of the camp because we will work together from now on including the two-week study trip in Nepal. We think our friendship was promoted through the camp.
One big news is that we got two new members, Kanta Endo, and Mayo Ozaki, for the Nepal study tour. We are so happy that they have decided to join us.
Thank you for reading.